舞台『鬼滅の刃』を観て考えた、感情を味わう余白について

舞台だからこそ見える魅力

先日、舞台『鬼滅の刃 其ノ陸 柱稽古・無限城突入』を観に行ってきました。

実は舞台『鬼滅の刃』を観るのは今回が初めてではありません。これまでに『無限列車』と『刀鍛冶の里』も観劇しており、今回で3作目です。

今回の席は2階席の最後列。表情までは見えない距離だったので、その分、舞台全体の演出や構成を楽しむ方向に気持ちを切り替えました。

まず毎回驚かされるのは、役者の皆さんの身体能力の高さです。
特に殺陣のシーンは迫力があり、どれだけ練習を重ねてきたのかが伝わってきます。
また、キャラクターの再現度も非常に高く、見た目だけでなく話し方や立ち居振る舞いまでアニメに寄せられています。

原作やアニメのファンであれば、「このシーンだ!」と嬉しくなる場面も多く、作品世界を舞台で再体験できる魅力があると感じました。
実際、炭治郎が煉獄さんを思い出すシーンで煉獄さんが登場した時は、思わず心の中で「煉獄さーーん!!」と叫んでいました。

なぜ感動ではなく感心だったのか

一方で、今回観劇後に残った感情は「感動した」というより、「よくここまで再現したな」という感心に近いものでした。
鬼滅ファンの自分にしては、ずいぶん俯瞰した感想だなと我ながら思います。なぜそう感じたのだろうと考えてみると、その理由の一つは物語の進行速度にあったように思います。

今回の舞台では、アニメ1シーズン分に加え映画序盤までの内容が約2時間半に収められていました。
鬼滅の刃は、登場人物の心情や状況説明が丁寧に描かれる作品であり、原作から非常に密度の高い作品です。
その膨大な情報量を限られた時間で届けるため、舞台では台詞回し含め全体的にかなりテンポよく物語が進んでいきました。

その結果、私は物語を追いかけることに集中し、自身の感情をじっくり味わう時間をあまり持てなかったように感じました。

思い出した『チ。』の舞台

そんなことを考えているうちに、去年観た舞台『チ。―地球の運動について―』を思い出しました。

舞台版『チ。』は、原作をそのまま再現するのではなく、異端審問員を軸に再構成された作品でした。
原作とは見せ方が大きく異なるため賛否もあったと思いますが、限られた上演時間の中で何を伝えるのかが明確に定められていたように感じます。

その結果、舞台全体に緩急が生まれ、私は登場人物の感情や物語の意味を受け止め、自分なりに咀嚼する時間を持つことができました。

作品を届けるということ

もちろん、これはどちらが優れているという話ではありません。

今回の鬼滅の舞台は、原作やアニメの魅力をできる限り損なわずに届けることを重視していたように感じます。
実際、ファンとしては「あのシーンが舞台で見られた」という喜びも大きく、キャラクターたちが目の前で生きているような感覚を味わうことができました。

今回の観劇を通して感じたのは、作品ごとに目指している体験そのものが違うということでした。

今回、鬼滅の舞台とチ。の舞台を思い返しながら気づいたのは、どうやら私は作品そのものだけでなく、伝え手がその作品をどう届けるかにも心を動かされているらしいということです。

再現度の高さに驚くこともあります。
演出の巧みさに感心することもあります。

そして新たに、今回2つの観劇体験を通して気がついたことは、鑑賞の中で自分自身の心の動きを感じられる余白の大切さでした。
それは展示会でも、舞台でも、アニメでも同じなのだと思います。
作り手は何を残し、何を削り、観客に何を持ち帰ってほしいと考えたのか。

舞台『鬼滅の刃』を観て、そんなことを考えていました。