世界と日本、”あたりまえ”のちがい

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縁がありまして、日本の製造業を支えている加工業の工場を見てきました。加工のためのマシンがたくさんあってすごいのは当然ですが、なにより気になったのはそこで働く人たちの目、そして現場で働く人から聞いた話でした。

たとえば、ノギスは最近はデジタルノギスが一般的になっているが、デジタルの数値は相対的(体重計とか、台所で使うデジタルの秤はゼロ値を設定できますよね)なので、測定の前に「本当にゼロはゼロか」を確認するという作業が必要になるので、どんなに機器の精度が高くても、それを使う人間がチェックを怠れば結果として品質の低いモノを作ることになる。
だから、デジタル機器に頼りすぎずに昔ながらのノギスをできるだけ使うのがよいとか、工具そのものの品質を維持するために、工具の置き場、保管方法には細心の注意を払うべきなのだそうです。

こうやって聞くと「そんなの当たり前じゃないか」と思ってしまいそうですが、実際に毎日それらと向き合って何度もなんども使う仕事をしていたら、次第におろそかになってしまう事なのだと思います。

もう一つ、加工という仕事に対するコダワリを見つけました。依頼される設計図には、どのような形にしてほしいのかが克明に記載されています(当たり前ですが)。しかし、加工後の処理については記載されていません。設計通りにつくるということは、数値が設計に合っていれば仕様は満たせているわけです。
でも、実際に数値通りに加工して、精密な測定器で測定して問題が無いことを確認しても、それでは出荷しないのだそうです。
最後に、本当の職人技による「仕上げ」作業がありました。手で触ってしか確認できないようなところまで、職人技で仕上げていきます。

いろいろな本で、世界一般では人に役割を割り当てる考え方が一般的(だから削る専門家、磨く専門家、マーケティングの専門家というような分類になる、機能毎の横割り)なのに対し、日本では一つの仕事が完成するまでを意識して担当する(例えばマーケティング担当が商品開発にも関わる)という縦割りな考え方が強い傾向にあるという日本と海外の違いを見る事がありますが、ここにもそれが現れている気がしました。削る専門の人は、設計図にあるとおり寸分違わず削ることが仕事であって、その精度をひたすら磨くことが評価につながります。だから、数値が合っていることが最良であって、数値の先のことは自分の仕事ではないわけです。
会社単位でも同じようなことが言えるのかもしれません。加工の工場は「設計図通りの加工」を求められているのであって、その先のことは、もしかしたら「別の工場」が担当しているのかもしれません。

そう考えると、日本の工場(ジャンルによると思いますが)の強さは、世界からみた場合「日本のわかりにくさ」でもありそうです。
しかし、ちがう視点で見てみると、日本的なやり方は、「本来であれば別の工程でやらなくてはいけなかったはずの作業までやってくれる」わけで、顧客の仕事の工数を減らしたり、その先の競争力強化につながる可能性があります。

そういう「顧客に強みをもたらすかもしれない凄さ」みたいなことを、ちゃんと伝えるにはどうしたらいいか、それは私たちの仕事だな、どうすれば「わかりにくい日本の価値」が伝わるのかななんて、考えながら東京に帰ってきました。